「可愛い」の概念崩壊?Z世代が示す新たな答え:立ち耳、ギャザー顔、ヒロアカ体型
出典:https://toyokeizai.net/articles/-/876922?display=b
長年若者の消費・メディア行動を研究する筆者は、Z世代でルッキズムが内心で高まっていると感じている。背景にはSNSの普及で容姿の良い他者を日常的に目にする機会が増え、加工技術も相まってルッキズム意識が高まった可能性がある。
一方で、表面上は反ルッキズムの潮流があり、容姿への言及はタブー視される傾向にある。しかし、Z世代の間では、これまでネガティブに捉えられてきた容姿の特徴を肯定的に捉え直す動きが出ている。
例として、「立ち耳」は小顔に見える、「ギャザー顔」はドアップで可愛い、「ヒロアカ体型」は健康的で女性らしいといった新たな価値観がSNSを中心に生まれている。これは、SNSが比較によるコンプレックスの場から、多様な美を発見・共有し肯定するプラットフォームへ変化していることを示唆する。
完璧な美を求めるのではなく、自身の特徴をポジティブに楽しむ価値観の広がりは、Z世代が美の固定観念を塗り替える力となっている。今後も、反ルッキズムを表す新たなポップな言葉が生まれることが予想される。
参照元:ヤフーニュース
加工に疲れたZ世代「“可愛い”の定義が激変!」≪立ち耳、ギャザー顔、ヒロアカ体型≫ コンプレックスを魅力に変える魔法の言葉の意味とは?
参照元URL:https://news.yahoo.co.jp/articles/42e191fe4ee297878412d55aa6685475bf090870
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私はそばかすがあり、耳は立ち耳です。子どもの頃はそばかすを「汚い」と言われたり、立ち耳を「猿みたい」とからかわれたりして育ちました。
本気で美容医療を受けようかと考えていた時期もありましたが、年を重ねるうちに少しずつ受け入れられるようになりました。美しさの基準は時代や人によって簡単に変わるものだからこそ、ありのままの自分を大切にすることが何より大事だと、今は感じています。
40代ですが、私の義務教育時代は、誰が一重だとか話題にもならなかったですね。それよりも、髪型とか流行りの品を持ってるかどうかでした。
当時、可愛いと言われてた子も今思えば雰囲気が派手なだけ。顔の中身はそうでもなかった。
今の子を見ると、小学生からアイプチ、鼻がどうだの、輪郭がどうだので、中学生にもなれば、自然と容姿カーストが生まれてる。
部活や勉強を頑張ってる子より、容姿に力を入れてる子がカーストのトップ。
私は特に容姿へのコンプレックスはないですが、本当にそこだけは昭和生まれで良かったと思います。学校がそんなのとか嫌だ。
顔面やスタイルがどうであれ、1番大切なのは心ですよ。人を思いやり、努力ができ、楽しいときに飛び抜けた笑顔が出せる素直な子。
鼻が上向いてようが、耳が前向いてようが、結局、心はそのまま「表情」に出ます。
整っていても表情に違和感があれば、可愛くも綺麗でもないよ。
SNS、特に画像や動画メインのSNSが台頭して、容姿がいい男女はあからさまに数字が伸びるんだよね。
容姿が悪い人間は、精一杯工夫してもなかなかフォロワーを集められないのに、容姿が良ければバズも簡単。
スタート地点が違うのよ。
付くコメントも賛美するものばかりだしね。
芸能人と違って、身近にいるプチインフルエンサーの成功を目の当たりにしやすい世代は、結局ルッキズムなんだな、という結論に達しやすいと思う。
若い子に限らず、今の女性は30代、40代になっても美しく、若く思われたい、みんなに憧れられたい、という熱が高いから、もう親世代から続くルッキズム偏向なのかもね。
これだけ雑誌が廃刊になる中でも、美容系雑誌だけは好調らしいし。
やっぱり、加工の影響でしょうね
立ち耳やギャザー顔?が可愛いというのは
最近流行りの前髪のサイドを触角みたいに長くして輪郭を隠すから写真を撮った時小顔に見えるのだと思う
逆におでこ出しワンレングスの場合は少し目が離れていた方が仲間由紀恵さんやバランスが良い豊田エリーさんのようにバランスが良く見える
一重だって富永愛さんや黒木メイサさんのようにクールなスタイリングカッコ良いし
結局髪型やメイク、洋服のセンスで左右される
なりたい可愛いの基準が加工された同じ顔なのが問題なのでは?
自分は正面から耳がほとんど見えないので、それが逆に嫌でした。若い頃に夢中になった宝塚のスターさんが立ち耳だったので、憧れの人と同じになりたくて、よく耳を引っ張ってみたりしていました。笑
元々頬骨が高くこめかみが窪んだ顔立ちなのですが、歳をとって余計に女性らしい丸みがなくなってきてしまったので、立ち耳だったら顔の凹凸が目立たなくていいのにな?と今でも思います。気になる所は人それぞれじゃないかな。
コロナでマスクが必需品になって以来、人前では絶対にマスクは外さない人が増えた。
マスクなしだと、素顔を見られるから不安になるらしいですよね。一生マスクして生活するわけではない。自分が気にしている程、他人は気にしていないんだよね。
歯列矯正中でしかも表側ワイヤーです。装置を着けたばかりの頃は、何か言われたらどうしよう・・・と不安だったけども、だーーーれにも何とも思われていなかったです。未だに何も言われないです。
異性からというよりも、同性からの方が気になるのかなと思いました。
前に放映していた学園ドラマでも容姿の良い子ばかりで反ルッキズムどころか昔よりはっきりとルックス格差が拡大してると感じた
コンプレックスを受け入れる風潮や雰囲気で持て囃されてる風潮もあるけど最早どうにもならない格差や内心の憧れが根底にはあると思う
ヒロアカ体型がポジティブに広まってるってすごいいいですよね。
ヒロアカに出てくる女の子って本当にみんなムチムチしてて、作者さんの好みなのかなくらいにしか思っていませんでしたが、それが自己を肯定する言葉に繋がるとは。
もちろん漫画の内容がいいからこその評価かもしれませんが、今の若者の感性も素晴らしい!
ルッキズムはどんなに美辞麗句を並べても永遠に無くならないだろうし、動物としての本能だから無理に無くそうとするものでもないだろう。
見た目が良い=持ち点が高いということで
得をすることは非常に多いが、持ち点が低いからこそ、必然的に他人より努力をする能力が育ったり、打たれ強くなったりすることができる。
どっちも素敵。みんな違ってみんないい。
最近はルッキズムやポリコレなどにより、公には見た目で判断することを禁忌としている
時代と共に美的感覚は変わるが、見た目がいいほうが得をするという考え方は無くなっていない
実際に恋愛や婚活などでは、見た目は重要項目だろう
マッチングアプリでも男女ともに、まずプロフィール写真で取捨選択する
自分の遺伝子が、より優秀な遺伝子を残そうとする本能でもある
結局美しいものが正義というのが本音
立ち耳が可愛いのは、実は30年程前に気付いていました。夏目雅子さんさんが耳をつまんでおどけている写真を見た時、耳が大きくなると顔が小さく見えるんだなと思って、かわいいなと感じていました。Z世代は、常にフォロワーの数字で判断される機会が多くて大変だろうなと思います。でも、ナチュラルな子も多いですよね。
私は8等身とはとうていかけ離れた体形で、高校生の頃は同級生から悪く言われたこともあります。その頃は体形のことが気になっていました。しかし、遺伝によるものですからどうすることも出来ない、と考えられるようになってからは気分が楽になりました。
精神面などの直すことのできる悪い部分は改善し、良い部分にはさらに磨きをかけて、人間力を上げれば良いだけだと思います。
ちなみに、私は以前アメリカに住んでいましたが、他人の劣った体形に対してアメリカ人が悪口を言うのを聞いたことがありません。また、アメリカ人は劣った自分の体形に対して全く悲観的に考えません。
日本人ほど体形に対して悪口を言い、コンプレックスを持つ人種はいないんじゃないですかね?
SNSは次々に流行が産まれるけれど同時に美容の流行もどんどん生まれ
最近の子は整形も気軽にやるから心配になります
立ち耳が流行って来てから立ち耳整形する子もいるし
二重の幅や形にも流行りがあって元々二重の子でも流行りの二重に整形したりする
その時代時代で「流行りの顔」というものがあって見る人が見れば「○年頃の整形顔だな」とすぐわかります
メイクで流行りを追うのは楽しいけれど
整形まではもっと落ち着いて考えないと後悔するのではと他人事ながら考えてしまいます
Z世代とかそんなの関係ない。
ルッキズムが高まっているも何も、この言葉がごく最近生まれたというものでしかなく、松田聖子、山口百恵、吉永小百合、夏目雅子・・・美しい人に憧れるのはどの時代だって当たり前にあること。
しかし昔と明らかに違うのは「誰しもが全世界デビューできる」こと。不特定多数の人に自分を知ってもらうなんて余程のものでなければ無理だったのに、今ではスマホ一つで簡単にそれが出来るようになった。
しかし「公開するのが簡単になっただけ」であり不特定多数の人に自分を晒すプレッシャーは昔と何も変わらない。演出家もいなければプロヂューサーもいない。そして、いいねやコメントで「直に」自分の評価が出る。そりゃどうにかしようと躍起になりますよ。
でもこれは現代ではそうなるという話であって、昔だって形は違えど似たようなことはあったと思いますよ。
小学生の頃立ち耳?だからって同級生の男児にドラキュラって言われて教室の後ろにある黒板にドラキュラの絵を描かれていじめられたなー。
本当に嫌な思い出だけど最近はそれがいいとされるのか。。。
もっと早くにそのムーブが来て欲しかった。
可愛いの定義なんて、いつの時代も同じだと思う。容姿は良い方がモテる。今は整形が身近になってきてて変わる事ができやすいけど、仮に真実を伝える時が来た場合に受け入れてくれる相手だといいと思う。そうじゃないと互いにキツいよね。
SNSなどを通じ色んな人の姿を見る機会が増えて、可愛い、かっこいい人も多く目にすると、憧れやコンプレックスから、自分もよりよく見せたいという意識が高くなるのは、まあ、当然のことだと思います。
良い悪いの話ではなく、見せるからには一番いい状態の自分を見せたいという心情によるものだと思うので、別にその人のやりたいようにやらせたらいいと思います。
それを「反ルッキズム」というのかどうかは良くわからんとこがあるように思うんだがなぁ。
結局「かわいい」のが「良い」って言ってることに変わりはないよね。その「かわいい」の定義がいま再び変わったというだけで、それは今までもずっとそうだった。
というか「かわいい」とか「かわいくない」とかというそれ自体は別に「ルッキズム」ではないけれども。
「ルッキズム」というのは「美しさ」によってそれ以外の要素を否定してしまうこと。例えば「通訳」を選ぶときに語学力や表現力より見た目の美しさで選択してしまうとか、スポーツ選手を身体能力や実績より見栄えで選んでしまうとか、そういうことだろう。
モデルのような美を求めたらルッキズムでアニメキャラのそれを求めたらルッキズムじゃないというのは意味不明だ。仮に個性的な「美」を求めたとしても「美」を主要な価値とする限りはルッキズムの軛から逃れたとは言えまい。
ルッキズムの土俵に立つと上には上がいるから勝てっこない。必ず負ける時が来て惨めな気持ちになる。それより誰ともかぶらない自分の個性をどう生かすかに注力した方が良い。私はそうしてる。「変わってるね」は最高の誉め言葉。
これだけネットで容姿レベルの高い異性を見慣れてしまうと、自分の彼氏彼女もこうであってほしいみたいに理想だけが高くなってくんでしょうねぇ。
文明がこれだけ発展して野生の脅威から脱した生活を手に入れても、こうしてまた別の形で自然淘汰の波がくるって考えると面白いですね。あるいは社会淘汰と言った方がいいのかな。
私はナルシストを貫いてる人を尊敬する
そして最初は引いちゃうけど、どんどん素敵に見えてくるんだよね。
結局は自分に自信を持てる自己肯定感が大事なんだな?
大衆向けに合わせてる人より、自分を突き通してる人ってかっこいいよね
完璧なんてないから、目は大きく、鼻筋は通ってて、小顔で、スタイル抜群でとまぁ色々あるけど、友人で決して美人じゃないのに、容姿に関してコンプレックスが全くないと言っていた子がいてそんな風に思える人もいるんだなぁと驚いたことがありました。
自分がなんか耳がおかしいなぁと思っていたところ(正面から写真を撮るとほぼ耳が見えない)寝耳だったことが判明。芸能人で寝耳の人って有村架純くらいしかあまり見かけないんだよね。本当今の子の観察力には感心すると同時にざっくりと自分の判断だけがほとんど美の基準だった昭和に生まれて良かったなぁと思う笑
ルッキズムというけれど、なんだかんだ言って人は美しいものが好き。
「美」とは何ぞや、などと考えると哲学的になるけれど、生まれながらにどうやら綺麗なものを好むようにできているらしい。ならば、反ルッキズムなどといっても、それは綺麗ゴトではあるよなとは思う。ただ、世代によって何を好ましいと思うかは流行も含めて変わるのは当然だし、美の基準はともかく、人には「美」に関係なく「好み」というものがあるから、世の中がうまくいく。
それからヒロアカ体型については、調べてわかったけれど、極めて男性目線で結局よく言われる「性の対象」として女性を表現しているだけで、健康的というよりむしろ「エロ」ではないかと思う。子供っぽい女性がやたら胸を強調したアニメがあちこちに公共施設にまである状態を、むしろ異常というか、大丈夫なのだろうかと思う自分にとっては、この記事の捉え方があっているのか?とは思う。
立ち耳じゃないけど、耳の位置が低い人を見るといいなあとは思う
耳の位置が高いと普通に眼鏡してても前下がりみたいになっちゃうんだよね
自分は低くも高くもなく普通だけど、たまに見る耳の位置が普通より高い人が
眼鏡してると眼鏡が前下がりで変って感じるし
多様性と言いつつ、ルッキズムにあぶれた人達が自分に自信を無くしていく傾向は良くないと思う。
昔より整形が気軽になったとしても、骨格や肉付き、体質や遺伝子は変えられない。
遺伝子ガチャや顔整い、という言葉まで出来ている。
自分の持てるものを最高に高める美意識ではなく、画一的な美が賛美されるあたり、韓国の影響もあるのか東アジア人に多様性や自分に自信を持ち、他者も尊重するというのは難しいのかなと絶望してしまう。
反ルッキズムというのは民間にはありません。マスコミと西洋イデオロギーの信奉者が広めただけのものです。人は見た目で判断します。見た目を整えるのは重要なことです。写真を盛るというのは全然別の話で何も面白くないと気づくのは自然な流れ。反ルッキズムではありません。
反ルッキズムという邪悪な運動が早く終わるといいです。みんながそう思っています。なんでも物事をつまらなくしてしまう人はいますが、そういう人に発言権を与える雑誌社が出てくることが問題です。
もっと自由にルッキズムを楽しみましょう。反ルッキズム運動をやっている人は、笑いとペーソスを学びなさい。そして、普通の社会に戻ってきなさい。
ま、誰しも、肚の中では、他人の顔形や体形だけをみてるわけじゃないでしょ。
太めのを「ふくよか」って言い換えた医者もいた。そういう類のハナシだろうけど…
ハートだよね。
アタマに関してはごく並みの程度がちょうどいい。
衣食足りて礼節を知る…とはいうけれど…ご令嬢、ご令息なんて実態は、傲慢、槍まん、屋里珍が多いな。
裕福か貧乏かは…ほぼほぼ関係ないようだ。
やさしさと明るさだな。それと…そこそこの常識だよ。
贅沢を言えば…良い雰囲気や熱気を放つオーラだな。
私も立ち耳で小さい頃はからかわれ、本気で手術を考えていましたが、大人になりチャームポイントだと思うようにしました。この記事を読んで確かに顔が小さいとはよく言われ、なるほどと思いました。
Z世代の間では、かつてネガティブに捉えられていた容姿の特徴を“自分らしさ”としてポジティブに再解釈するという新たな価値観と言葉が生まれてきている。
とあるように、今の世代の価値観の変化を褒める内容なのに、コメント欄は「今の世代はかわいそう」だの「昔は良かった」とか懐古主義になるのはなんで?
まぁ自分たちの青春を美化肯定したい気持ちは分かるけど、今の世代を昔の世代が否定するのは視野が狭いなぁと感じる。
いつの時代もこうなのかな。昔の世代も、その昔の世代から「みな同じ髪型」とか「個性がない」とか言われてたのかな。
悪口を言ってからかう人を同じようにからかえたらいいんだろうか。
一方的に言い返せない子をからかって、自分が悪く言われることなんて微塵も思ってないんだろうそういう子は。
短所も長所も見た人によって、本人の思い込みによって変わってくるもんだよ。
無いものねだりで人の事妬んで自分の持ってるものに気付かなかったり、人の事下げればまるで自分が優位にいると思い込んだり。
ろくに親からモラルについて教育されなかったり、そもそも親がそういう攻撃タイプならそういう背中しか見れないわけで…。
スポーツ選手にすら可愛いだのカッコイイだのランキングしてさ、ウエスト何cmの体重何kgのガリガリの人をスタイル抜群てもてはやしたり、ルッキズムどうのなんてなくなるわけない。
平気で食べ物残したり吐いたりするような人が、SNSなどで細いねって可愛いねって言われてたら真似するんじゃないの。
年齢を重ねたり親になったら、それより大事なことが解ると思います。それを伝えるのも大人や親の務めで、価値観や生き方に関わると思います。
自分はこの記事でいう父譲りの立ち耳に、今は亡き父を想います。
40歳ですが、高校生の時に”立ち耳の子って顔小さく見えて可愛い”と感じ羨ましかったです。なので、ピンを後ろからわざと耳にぶつかるように留めて耳を起こしてました 笑
今は立ち耳にできるテープも売ってるとTVで観た事もあり、”私の感覚は間違えてなかった!”と思いました笑
相変わらず猿耳の子方に憧れてます。
私立ち耳で子供の時は「お猿さんみたいだね?」とよく言われたもんだけど、テレビで立ち耳にしたくて整形する子もいると見て価値観なんてそんなもんかと思いました。今整形を考えるほど悩んでる子も、そのままにしてたって周りの見方自体が変わることもあるかもしれないですねー。
「この30年間、
若者の間で起きた 最大の変化 は何か?」
「Z世代の間で
ルッキズム が高まっていること」
こんなことでスタジオの雰囲気が和むのであればと、
自分から自虐ネタとして薄毛であることに触れると、
かえってスタジオの雰囲気が固くなる
原田 曜平(48歳)
芝浦工業大学デザイン工学部UXコース教授
「タイパ(タイムパフォーマンスの略)」
「伊達マスク」
という言葉の生みの親でもあり、様々な流行語を作り出している。
30年前 若者だった者の、30年後の最大の変化は何か?
今の子は私の世代より足は長くて小顔が標準装備で羨ましい。
標準身長は実は低くなっているとも聞いたけど
バランス良くなっているので、見た目は差が歴然です。
自分のなりたい物がはっきりしていて、そこへの欲も強まって努力の差が出来ている。加工もそれかと。
情報と探究心が必須の世の中ですね。
ネットでは(キャラクターの話ではあるが)太ももは太い程良いとか、根暗地味キャラが良いとか、もっちり腹が出てる方が良いとか、ルッキズムよりも正しい意味の多様性な性癖が溢れている。
というか、容姿の好みは人それぞれかつ時代による。自分で自分を卑下しなければ、対して気にならないのでは?
ぽっちゃりとかオーバーサイズとか、そういう悪い意味での開き直りではなく、自分の個性、自分の武器としてコンプレックスと向き合うのが大事なおでは?
特にデブ専ブス専も居るしそばかすや一重も刺さる人には刺さる。
癒されるからデブが好き、セクシーだからハゲが好きって女性も居る。
大昔は太っている事は富の象徴でモテたし、昭和は濃い顔、平成は醤油顔、令和は韓流メイクなど、移ろうもの。
容姿だけではなく、立ち居振る舞いに滲み出る性格や育ちの方が、結局大事ではあると思うよ、個人的には。
今時の若い子大変ですね。
私はアラフォーのおばさんですけど、子供の幼稚園や小学校の参観で親御さん達を見てても、snsに出てくるような美男美女は自分も含めほとんどいないなと思います。
あんなキラキラした人は一握りなんだろうな。
流行りに飲み込まれず、自分が良いと思ったものを自分なりに楽しんでいれば、誰とも比べることなく生き生きとしていて輝いて見える。そういう人は、言葉や考え方も、人を比べることなく、その人・そのモノをきちんと見ることができるからひがんだり、ねたんだりしない。だから意地悪な顔にもならない。
そもそも流行り廃りや、カッコいい、カッコ悪いの定義なんてマスコミ、ファッション業界、出版業界、美容業界等が商売を回すために作り出しているものだから。これまではなんとなく方向性などに統一感があったが、SNSの台頭で、地上波放送や雑誌を見なくなった世代が現れ、とうとう崩れたんだね。
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