織田信長の最愛の女性・吉乃の菩提寺である久昌寺取り壊しへ!630年以上の歴史に幕
出典:https://www.konan-kankou.jp/?page_id=3874
戦国武将・織田信長の最愛の女性で、信長との間に後の岐阜城主となる信忠らをもうけたとされる側室、吉乃(きつの)の墓がある久昌寺(きゅうしょうじ)(愛知県江南市田代町)が近く取り壊されることが分かった。老朽化に伴い維持管理が難しくなったためで、跡地は市に売却され、公園として整備される見込み。市民や歴史ファンらからは「貴重な歴史遺産を残してほしかった」と惜しむ声が上がるが、630年以上とされる歴史に幕を下ろすことになる。【川瀬慎一朗】
「江南市史」などによると、吉乃は地元有力者だった生駒氏の娘。寺は1384年創立で生駒家の菩提寺にあたる。吉乃は生駒家の屋敷で暮らしていた時に信長と出会い側室となった。長男信忠、次男信雄、後に徳川家康の長男信康の妻となった徳姫をもうけたとされる。信長は正室、濃姫との間に子どもがおらず、吉乃は織田家の中で存在感があったとみられる。若くして亡くなったとされ、冷酷非情とされる信長がその死に涙を流して惜しんだと伝わる。信長は香華料として660石を寺に与えたという。
寺の現在の本堂は1925年建築。庫裏は不明だが、江戸期とみられる。寺の西側にある吉乃の墓は、生駒家歴代当主の墓と共に市文化財に指定されており、今回の取り壊しや売買の対象にはならない。しかし、寺がなくなった後にも墓標は立ち続けることになり、どのように保存、継承していくかが課題となる。
寺を所有する宗教法人役員の19代生駒家当主、生駒英夫さん(48)によると、寺には約60年前から専属住職はおらず、檀家も約10軒という。長年維持管理が課題になっており、約5年前から取り壊しを検討。耐震化や雨漏りの問題があるが、費用面から改修は困難だったという。本堂内にあった吉乃や信長の位牌はすでに別の寺などに移しており、英夫さんは「信長ゆかりで先祖の菩提寺でもある歴史的な寺なので残したい思いはあったが、檀家も少なく財政的にやむを得ない」と話した。
参照元:ヤフーニュース
信長「最愛の女性」菩提寺取り壊しへ 630年以上の歴史に幕
参照元URL:https://news.yahoo.co.jp/articles/827ec400e767b88cea6dedff1946c4c88fab7a5e
【江南市史跡散策③】生駒屋敷跡、久昌寺
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こういうときこそ、クラウドファンディングの出番では?
信長ファンの歴史好きは多そうだけどなぁ
全然歴史わからない私でも
『あらもったいない』と思いました
クラファンでは改修費しか集まらず、その後の維持が結局出来ないから、てことかしら…
檀家は減る一方だろうし、大抵のお寺さんはこんな感じなのかなぁ…
発信力の問題で、こういう縁のあるお寺に対しては手を挙げる人がいそうな気が。この記事が縁で出資者が現れるといいですが。言葉は悪いですが、やり方によれば、信長ゆかりの地として観光資源になります。
維持しろ維持しろと口だけ出して
金も出さない、草むしりもしない人たちもいる
関係者で話し合いの結果ならしかたないよね
記録と記憶で歴史を維持。
このためのDXでしょ。
「貴重な歴史遺産を残してほしかった」って言うなら檀家になるなり寄付するなり資金援助したら良いがじゃないかな。
日本全国に檀家が減って維持できないお寺や地域住民の減少で維持できないお宮など無数にあるが、綺麗事ではもはや解決できない。なすすべがないというのが現実。
こうした問題は今からどんどん増えてくる。
一回無くなったらもう再建は不可能だから、クラウドファンディングを募るのは悪くない。集まった金額が改修資金にすら足りなければ、その分はデジタル資料やアナログ資料をできるだけ保管するためのお金にまわすとか..、。
あるうちに手立てを確保しておかなければ、永久に歴史の真実を伝える資料が失われてしまう。
(これとは別の問題として、資料がないと某国みたいに変なねつ造歴史を作る人達がいるので客観的事実の為にも後世に情報を残した方がいい)
数年前にサイクリングしていて、休憩しようとたまたまですが行ったことがありました。静かな場所でゆっくり見学した思い出があります。歴史があるだけに寂しいですけど
改修費用など維持費って大変ですもんね。こういう悩みがある歴史的な場所はたくさんありそうですよね。
歴史上大切とされるものでも、その管理を個人が行うには限界がある。どうしても……ということならそれこそ建物ごと市が買い取る流れなどあったでしょうが、その財源は地域からとなってしまうわけで。土地の人達がそこまで許容できますかね…というのもある。クラファン使っても、建物に常駐できる人がいないならすぐ痛むだろうし。人間が1番高コストなんですよね。
建物の無償取り壊しと土地の格安購入で折半して、土地は地域で有効活用。これが一番傷が少ない解決方法だったんじゃないでしょうか。土地だけ残っても個人の方の税金的負担が恐ろしいことになりますので。
諸々考えたらやむを得ない判断なのでは…と思います。生きている人が苦しむようなことになる資産なら手放すしかないですもん。自分の代でケジメを付けざるを得ないことに、ご当主は苦しまれなければいいなと思います。
寺に限らず、建物は人が住まないと急速に衰える。
歴史的でなくとも、その寺に縁のある人たちが、自らのルーツを大切にする気持ちがあれば、60年前から無住と言うことはなかったはず。
宗教批判と取られそうだが、60年前というと「折伏大行進」の頃。そして日本が現世主義に移行して行った時代。
しれっとしてるが、その時代に先祖から繋がった信心をすてた日本人は多い。
自分の命が自分のものかのように、さらには子供の命も自分のもので自分に権利があるかのように好き勝手する今の日本人の、最たる被害者と言っていいのでは。
うーん、難しいですね。
市と共同して町興しとして戦国吉乃の墓と観光で売り出すって手段もあるけど、さすがにお墓を祭りあげるのはちょっと違うし、インパクト弱い。第一、コロナで観光どころじゃないし。
永続的な維持は世代を越えて支持、支援が不可欠で、自身の収支だって下がる一方の日本で他人の世話とかしてられない。そんな時代だしな。
クラウドやったって所詮その場凌ぎ。
いろいろ難しいなぁ。
関係者の中でそう決めたのであれば、それは自然な終わりだと思います。全てのものにはいつか終わりがくる。カタチを消しても、今は写真や映像などで語り継ぐ事ができるし、無理な延命は遺された者に負担になるケースもある。身内でよく話し合って決めた事なら、それが一番ベストな流れではないでしょうか。残念で悲しい事ではありますが、またこの場所がこれからの人達に活かされるのであれば、良いも悪くもなく自然な流れだと感じました。むしろこの時代まで頑張ってくれて感謝。
もったいない、とか、クラウドファンディングやったら、とか、国がなんとかしろ!とか残せと言ってる人は、このお寺に行ったことあるんですか?信長の側室の方の墓がある程度で、うちの近くにある寺とそう変わらないお寺さんで、管理が出来なくなったから手を引いたわけで、観光寺に出来るんならもうすでになってると思います。地域で支えきれなくなったら、終わりにするのも一つの方法かと。
文化財の維持管理は修繕など莫大なお金が掛るから大変なんでしょうね。
京都の社寺も檀家や観光客の多いところは良いがすべてがそうでは無いので財政は火の車と聞きます。
京都市の財政もそんなに余裕はなく援助は出来ないそうですし、宗教施設に公金を支出する事にも様々な意見があるようです。
以前は観光客が多い社寺から拝観料収益から「古都税」として集め、それを文化財保護の財源にしようとしましたが有名社寺から拝観料収益額がバレるので徹底反対され、拝観拒否の暴挙までされて廃案になりました。
宗教人でも一番はお金なんですね。
寺に建造物として価値があれば文化財指定を受けるのだろうがそうでは無さそうなのでこれは致し方ないかと思う。吉乃は帰蝶ほど名が通っていないし観光資源としては難しいかと思います。菩提寺史跡公園で墓所はしっかり残すが現実的かと思います。悲しいけどこれが現実なんだと個人的には思います。
これも少子高齢化の影響なんでしょうね。跡継ぎがいない。檀家も10件では維持のしようがない。例えクラウドファンディングで修理費用が集まっても、維持管理は永遠に続くのでその費用が出てこない。古い建物の維持管理は金も労力もかかるのでこういう決定をしたのでしょう。これから同じような話は幾らでも出てくる。
歴史的建造物の維持管理のかなりの部分を宗教団体に委ねていますから、奈良の大仏のような観光名所なら収入面での不安はありませんが、こうした観光客があまり来ない寺などは保存が難しいですからね。
今まで御守りしてきた檀家さんには名残惜しく、別れ難い思いでしょう
檀家である以上、維持費用だけじゃなく労力も長いことかけてきたことでしょう。
だんだんと檀家さんが減っていき、残った檀家さん達の負担は大きくなる一方で、檀家さんも高齢化していけば辛くなるよね。
今まで守ってきた場所との深い絆を大切に、生まれ変わるその土地をまた見守ってくれると嬉しいよね。
明るい場所になったらいいな。
当主の生駒さんは本当に長年悩んでおられたのではないか?
存続したい気持ちは当主が一番強かったはず。
苦渋の決断であったことは想像に難しくない。
クラファンとか色々方法はあったかもしれないが、外野からはいくらでも言える。
私はとやかく言わずに生駒さんの決断を支持したい。
このような由緒ある寺の存続の重圧たるや本当に大変だったと思います。
本当にお疲れさまでした。
やはりそうなったんですね。
久昌寺は私にとって幼い頃から身近で今でもとても大切な場所です。住職がいない寺を数十年、地道に掃除や草抜き、落ち葉拾い、雑巾掛け等、無償の奉仕で頑張ってきた方々に敬意を評します。
維持管理は人と金が必要ですが、それを先祖代々、織田家にゆかりのある極一部の檀家でだけではどうしようもありません。先祖からといっても先祖が維持管理費用を天国から支援してくれるわけではないしクラウドファンディングというご意見もありますが、それでも維持は極めて難しいと思います。
私にとっては人生の一部といってもよい場所で思い出もいっぱいあり一生消えることはないです。
建物だけで無く住職も確保しなくてはならないし。昔みたいに毎月自宅の仏壇を拝みに来て頂く家庭も減りましたし、お墓を建てない家庭や家族葬も増えたし、経営も大変でしょう。
これからは、廃業するお寺が増えるでしょうね。
取り壊しは懸命な判断でしょうね。クラウドファンディング等で修繕費を調達したとしてもそれは単なる一時しのぎ問題の先送りでしかない
問題は檀家の不可逆的減少。檀家0軒が見えてきている状況で当寺の存在意義が完全に失われている。
存在意義のない。存在意義が無い寺を存続させる意義が無い
取り壊し判断苦渋でしょうが懸命な判断でしょうね
そもそも無常を語るならお寺もいつかは潰されていくものということだろ
簡単な歴史書では出てこない名前だから知らなかったな
文中の濃姫も最初は聞くが途中から姿を消すし、どうも歴史小説程度ではよくわからん
学校教育も、誰がどういうことをしたという人物中心に歴史を並べていき、なにがしかの筋が通ったものとして習うが、全体に暗記物になってしまっている
知り合いには、江戸時代だと全部徳川さんじゃないか、覚えにくいとボヤいていた
学校レベルでも少し深堀すれば何がわかり、何がわからないのかや、どういう調べ方をすれば学校で習う見方とは違うものが見えてくるか
こういうのをせめて資料集などで扱ってほしいし、意欲ある学生に手引きを与えるような教育も必要ではないか
知識を与えるだけが歴史教育ではないはず
こういうことがあるとすぐに、クラウドファンディングすれば良かったのにと声が上がる。しかし、そういったことも考えた上での決断では無いのか。
クラウドファンディングはあくまで一時的な資金で、その場しのぎにしかならない。檀家が10軒しか無い状態では維持管理も難しい。
二言目にはクラファンやれっていう人が多いですが
「お金がない」でなく「後継者がいない」のが最大の原因なのだから
クラファンで一時的にお金だけ集めたってムダですよ
もう存続できないのであれば
無残な廃屋をさらすよりも史跡だけ残してきちんと整備した方がいいでしょうね
簡単にクラファンというけど、そうはいかない理由があるんだろうね。
各地の寺社で同じような課題を抱えてるところがたくさんあるだろうな。
行政が買い取ってくれる分だけ恵まれてるのかもね。
京都の者ですが毎年数10軒の大正、昭和、古い者では明治の古民家が取り壊されてます、運が良ければお金持ちの方に買われて手を入れて残りますが、市内の土地の高い所ではほぼ取り壊しになります。時代の流れにはあがらう事は出来ません、寂しいですが、一部の大豪邸は料亭になってますが。歴史のある建物の相続税何とかなりませんかねえ、利益を生まない建物に少しは恩恵が有っても良いのでは無いですか?結局はパーキングになります。悲しい。
文化財指定や自治体の所有とする事で生き残れるか、というと、そうとは限らない。
自治体所有とするには一定以上の公益性がなければ、継続的に予算をつける事は難しいし、
文化財指定された場合、
国などからある程度は補助は出たりするが、文化財としての価値の保全に関する責任や義務が重くのしかかる。
ただでさえ補修改修費が高額になる寺社建築で、更に文化財としての価値保全に考慮しなければならないとなると、維持管理費は年々肥大する事になるが、その予算に市民の賛同が得られるとは限らない。
今後も似た様なケースが予想されるので、いっそ宗教法人の宗教活動への非課税をやめて、その代わりに宗教関連文化財の保護予算制度を作ればいいのでは。
あまり詳しくはないけどそういう
ゆかりなら勿体ないとは思ってしまうけど
結局自分みたいな外野で勿体ないという人しかいないという
ことなんだろうね。
維持管理していくのは大変でしょうから
一時的にこのニュースでお金が集まっても
維持はできないでしょうから
存続は厳しいのかもしれませんね。
もったいない、、
ここまでの由来はなくとも、全国にこうした存続の危機のお寺があるように思う。
昨今のお寺離れは著しいからね、、
自分の家は、先祖の菩提寺がいくつかあり、
今でもお墓参りやお盆やお彼岸の読経は欠かさないし、年次法要もやっているが、たぶんそういう家の方が少なくなってると思う。
散骨的な日本人の死生観の変化も大きいし。
明治政府=長州の田舎侍の発想である廃仏毀釈運動が、150年かけて見事に実を結んだよね。
ちなみに、親族には神官もいる家だけど、むしろ神仏は互いに尊敬しあってる。
檀家制度的ではない、寺の存続方法を仏教界全体で考えるべき時期だろうね。
「維持すべき」だの「あらもったいない」だの「観光資源になる」だの「DXでしょ」だの「援助したらよい」だの「変なねつ造歴史を作る人達が」だの「好き勝手する今の日本人」だの「保護予算制度を作れば」だの「史跡だけ残して」だの「仏教界全体で考えるべき時期」だの「惜しい」だの「公金が使えれば良い」だの「可能性を模索すべき」だの「やり方次第で存続出来そう」だの「江南市は工夫をしてくるべき」だの「絶対に流行りますよ」だの「はちゃめちゃなことするお金があるなら」だの「再考すべきです!」だの「コミュニティサロンのような役割として利用」だの「自然に朽ちさせられるように」だの「後世に生きる我々の怠慢」だの「日本は敵将の土地でも遺産を残す」だの「もっと深く考えて」だの「愛知県しっかりしろ」だの、本気で思ってるなら書いてる暇あったら動けば? どうせ今日の晩飯のころにはこのニュース忘れてるでしょ。
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